1976年(昭和51年)に生まれた第一劇場。その当時はストリップ劇場が最盛期で広島県内にもいくつかあった。

第一劇場もその当時は「徳山」「広島」「岡山」「高松」「神戸」「福山」と6つのチェーン館があったが、今は広島の1館のみとなっている。

いわゆる「ストリップショー」と言われているショーシステムは、曲や踊り子さんの年齢層は時代とともに変わりつつあるが、基本は変わっていない。

 

歴史

今の社長になって33年。社長は1976年(昭和51年)に神戸第一劇場に入り二年目にして支配人になった。
その当時はストリップ全盛期。常時6.7人の従業員が働いていた。その後高松の第一劇場に呼ばれ店長として二年。

その後30歳にして岡山第一劇場のオーナーになるが紆余曲折あって、一年半で廃業。

そのまま岡山に残っていた所、広島第一劇場のオーナーから広島を手伝ってくれないか、との電話をきかっけに広島へ。
1983年(昭和58年)夏の事だった。

その後また新たなる紆余曲折(手入れなど)あった後、正式に広島第一劇場の社長に就任。

あっという間に33年の月日が過ぎた。

現状

ストリップ劇場の経営は楽なものではない。過去2回の手入れが入り、時代とともに娯楽も風俗も変わっていく。

社長がこの世界に入った時には、全国150件以上あった劇場も今や20数件になってしまった。

ストリップ劇場が衰退していく理由を社長はこう語る。

以前は女性の裸を見るにはストリップ劇場しかなかったが、今やネットの普及、フーゾク店の進出に伴って女性の裸を見る目的でお金を払う人が減ってしまった。

不景気になった時、まず外されるもの、それがストリップ劇場だったのだ。

興味深いのは女性の変化の話。

昔の女性は門限が厳しく22時過ぎまで出歩く女性が少なかった時代。

飲み会があっても一次会でお開き。女性は帰り、残った男性で「よし!」という事でストリップ劇場へ行く事もあったそうだ。

それが昨今男性と同じようにいろいろと自由になった女性達は、飲み会でも一次会などでお開きにはしない。

それじゃあどうしよか、となった場合にカラオケなどへ流れるようになっていった。

ここでもストリップ劇場は飛ばされてしまう結果に。

様々な要因を踏まえ今時代とともにその歴史を閉じようとしている。

つづく

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