原子爆弾は、爆心地から約2キロ四方すべてを焼き尽くしました。わずかな建造物が、程度の差はあるものの、焼け残っただけでした。これらの建造物は、焼け野原となった広島市街地を撮影した写真に見ることができます。
もっとも有名なのは、元広島県産業奨励館、現在の原爆ドームです。しかし、熱と爆風に耐えもっとも良い保存状態で残った建造物は、広島城と市庁舎をつなぐ鯉城通りの袋町に位置する日本銀行広島支店でした。
日清・日露戦争中、日本軍の重要な兵站基地として発展した広島市に、日本銀行が支店を出したのは1905年のことでした。広島支店はその当時、現広島平和記念公園の南に位置していましたが、1936年に現在の場所に移転されました。
したがって、クラシック調デザインの3階建ての建物は1945年当時まだ比較的新しく、当時もっとも高い耐震基準にのっとって建てられていました。強化された鉄筋コンクリート構造と装甲シャッターが備えられていましたが、1945年8月6日、建物内で働いていた54人の命を守ることはできず全員が亡くなり、建物そのものは比較的無傷で残ったのです。
最上階には当時の大蔵省の地方役人が働いていましたが、窓の装甲シャッターは開いており、フロアすべてが完全に焼き尽くされました。しかし1階と2階のシャッターは閉まっていたため、内装も比較的守られました。
特筆すべきは、被爆してたった二日後には、日本銀行は再開し預金の引き出し業務を行い、他の金融機関にも臨時窓口としての場所を提供したことです。1992年3月まで、日本銀行は銀行としての業務を遂行しました。
旧日本銀行広島支店(旧日銀)
住所: 広島市中区袋町5-21
営業時間: 10:00-17:00 (無料)
入場料: 無料
電話: 082-504-2500